相模国で日本刀の名匠正宗から相州伝の技巧を学んだ「安吉」(やすよし:のちの左安吉・左文字)は、人格が優れ巧みな腕前を持っていたことから、師である正宗と門徒たちに大変親しまれました。師事期間を終え、安吉が故郷である筑前国へ帰国する際には、別れを惜しんだ師弟たちが見送りの予定場所を越えて彼に付き添いました。その際、師である正宗は自身の「片身」だとして己の左袖をちぎり、安吉に渡しました。これに感極まった安吉は、正宗より授かった左袖を家宝とし、左を姓とした「左安吉」を名乗り、作品の銘にも左の字を切るようになりましたと言われる説もあるが…(正宗は右利きか?)