訳あり!江戸時代 肥前国忠吉(稀少の五字忠ノ短刀)21.2cm 切符名「山岡氏」白鞘作成途中の角鞘です。

期限切れオークション

【商品情報】
令和に遺品整理で新規登録され
肥前国忠吉と銘ありの一振り。
切符名「山岡氏」とあり。
白鞘は作成途中の角鞘です。

■鑑定:なし
■時代:江戸時代
■種別:短刀
■銘文:
(表) 肥前国忠吉
(裏) 山岡氏

■測定値
刃長:21.2cm
反り: 0cm
元幅:25.3mm
先幅:19.7mm
元重: 7.1mm
先重:
鋩長:
茎長:93.5mm
重量:181g
※誤差あり
■登録証:滋賀県教育員会

■説明:令和発見(新規登録)の五字忠で
肥前国忠吉と銘があり切符名が山岡氏とあり
銘と切符名の字体が異なるよう見えますので、
この短刀を山岡氏に献上しようとしたのでしょうか…
五字忠の短刀は刀より数が少なく希少
手に取るとわかりますが平地は潤いがあり
ますがヒケあり。また作製途中の白鞘でハバキ無しです。

平造、庵棟、重ね厚く、反りなし、鍛は小板目よくつむ。刃紋は互の目みだれ。帽子は地蔵風または、のたれ込み、小丸に浅く返す
平地は潤いがあるがヒケあり。
古研ぎ。目釘孔1
※勉強中の為、記載名称や表現が異なる場合がございます。

【出品者情報】
■商品発送地:東京都
■出品者:名刀オークションで代理出品中のお品物です。渋谷区のお客様から整理品との事で数振り近くお預かりしました。
■一言:ご検討のほど何卒よろしくお願い致します。他にも出品予定になります。
※当社の撮影では蛍光灯および白熱灯を使いますので色味が異なって見えることがあります。

アイテムの状態: 中古

オークションの期限が切れました(入札なし)

説明

もし山岡様がいたら是非、守刀としてご検討下さいませ。
もし「山岡」様がいたら是非、守刀としてご検討下さいませ。
肥前国忠吉の短刀
肥前国忠吉の短刀

肥前国忠吉の銘
肥前国忠吉の銘

肥前忠吉 (初代)※初代~九代(日本刀全集では肥前国は十一名記載)

元亀3年(1572年)~寛永9年(1632年)8月15日死去。享年66。
初代 忠吉は、日本の刀工で五字忠、新刀最上作、最上大業物
江戸時代初期に肥前を中心に活躍した新刀鍛冶として知られる。
号が忠吉(後に忠広)であり、
本名は橋本新左衛門。新刀最上作最上大業物であり、名手とされる。

1572年(元亀3年)、
高木瀬村長瀬(現佐賀県佐賀市高木瀬町大字長瀬)に
龍造寺家の家臣である橋本道弘の子として生まれた。
橋本家は元々武士で少弐氏の一族とされる。
九州の大名龍造寺氏に仕えていたが、
祖父の盛弘と父の道弘は1584年(天正12年)3月24日に
島原での沖田畷の戦いの際に討死をしている。
この時忠吉はまだ13歳であったがために、

軍役叶わずとして知行断絶した。

このため一家は刀匠に転身し、1596年(慶長元年)に 上京して、
山城国の埋忠明寿(うめただみょうじゅ)の門に入り刀工としての技を磨いた。
1598年(慶長3年)に帰国して佐賀城下町(現長瀬町)に居を構え、
鍋島勝茂から戦功ある家柄であったということで
橋本家は鋳物師の谷口家(初代谷口清左衛門長光)とともに
佐賀藩の「手明鑓」(藩士)として、世禄二十五石であらためて取立てられ、
代々藩工として栄えた。

作刀
制作の時期により、五字忠銘、秀岸銘、住人銘、
改銘後の忠広銘に分かれる。
初期は「五字忠銘」といって「肥前国忠吉」の銘がほとんどのようである。
秀岸というのは僧侶らしく、この人の書く字を真似て切った癖のある切銘のことを言う。
秀岸銘をやめてのち、「肥前国住人忠吉作」などと切る住人銘になる。
晩年は武蔵大掾を受領し名を「忠広」と改め「武蔵大掾藤原忠広」と切る。
重要美術品の刀、脇差しがある。
息子の近江大掾忠広以下、幕末まで一貫して続く肥前刀の開祖といえよう。

※Wikipedia引用

合計入札価格:

オークションは期限切れです

オークションの期限が切れました(入札なし)
オークションが開始されています 2020-12-07 09:10

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